“難攻不落”の富岡城を歩く 天草一揆の転換点になった名城/苓北
なぜ天草四郎率いる一揆勢は攻め落とせなかったのか
「難攻不落の富岡城」。歴史上最大規模の一揆「島原・天草一揆」を語るうえで欠かせない事柄だ。天草四郎率いる1万2千もの一揆勢が、3千の兵の守りの堅さから撤退を余儀なくされたという富岡城は、数百年にわたり天草の中心地だった苓北町のまさに“本丸”。地元の誇りであるここから、苓北の旅が始まる―。
苓北町は、天草にキリスト教を導入した志岐氏が戦国末期まで治め、その後も天草の中心であり続けた。富岡城が築かれたのは、徳川の時代に入ってから。1602年ごろに肥前唐津藩の寺沢広高が手掛けたとされる。
そして1637年、島原・天草一揆。幕府側の拠点となり、一揆軍を撃退。この“難攻不落”の富岡城が一揆の終結、徳川幕府の安定につながるエポックメーキングな出来事だった。
一揆後には築城の名手、山崎家治が大規模修築・拡張を行い、現在の富岡城の規模に。その後に天草は天領となり、初代代官・鈴木重成が天草復興に力を尽くした。
富岡城は天草灘に突き出た富岡半島の山部にたつ。この特異な地形を生かしたものとされるが、現代にあっては富岡港の入江や長崎県側の島々、苓北の山々などが見渡せる絶景スポットとしての価値を生み出した。
現在、二の丸駐車場までは車での来城が可能。二の丸から本丸へと登ると、本丸跡には「富岡城・熊本県富岡ビジターセンター」がたつ。雲仙天草国立公園、天草地域の魅力を紹介している。櫓や高麗門、白塀なども復元されており、往時のたたずまいが眼前に広がる。
また、復元した二の丸長屋跡は「苓北町歴史資料館」に。富岡城や島原・天草一揆について資料や動画などで解説している。なぜ一揆勢は攻め落とせなかったのか。その理由にここで迫ろう。
二の丸広場には、鈴木重成と、補佐の実兄・正三和尚を「天草の恩人」として、明治維新で活躍した勝海舟、幕末の儒学者・頼山陽という苓北を訪れた2人を「日本の恩人」として称える銅像「天草回天之碑」がたち、今も苓北のまちを見守っている。
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富岡城と城下を散策するには、苓北町観光ボランティアガイド協会によるガイドツアーを利用したい。富岡城での戦いやキリシタン迫害の歴史などが集中する富岡地区を歩き、その歴史を深掘りしよう。
5人までの利用で1時間コースは1人1千円、2時間コースは同2千円、3時間コースは同3千円。5日前までに要予約。問い合わせは電話0969―35―1111。
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