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戦国から幕末まで 苓北歴史舞台をゆく

天草四郎乗船の地やキリシタン供養の碑

苓北町内には島原・天草一揆にまつわる史跡が多く残る。訪ね歩くことで、今から400年近く前、天草の中心地だったこの地で起きた歴史の一端に触れてみたい。

天草四郎乗船の地は町東部、国道389号線沿いにある。富岡城攻略に失敗した天草四郎ら一揆勢が島原へ向かい乗船した。自然石を舟に、十字架を帆柱に見立てた石碑がたつ。

一揆後に天領となった天草の初代代官・鈴木重成の供養碑は富岡に。天草の復興に尽力したその功を称えようと家臣らが建立した。

この一揆の悲惨さとキリシタンの無念を伝える富岡吉利支丹供養碑。討ち死にしたキリシタン3333人もの首が埋葬された地に、鈴木重成が霊を慰めようと建立したとされる。別名「千人塚」。重成の供養碑にもほど近い。

富岡吉利支丹供養碑

キリシタンの霊を慰める「千人塚」

志岐教会を迫害から守り続け、斬首されたアダム荒川の殉教地であり、現在の記念公園は富岡城二の丸駐車場近くにある。

それ以前、戦国時代に時間を戻そう。志岐城跡は、天草で初めてキリスト教を導入した志岐麟泉の居城。「天草五人衆」としてこの地で栄えた志岐氏だったが、豊臣秀吉の不興を買い、1589年に小西行長、加藤清正の連合軍との「天正の天草決戦」で敗れた。今は志岐城跡公園として整備されている。

時は幕末に飛ぶ。実は苓北には勝海舟が2度訪れていた。鎮道寺。本堂の柱に「頼まれぬ世をば、経れども契りあれば、再びここに月をみるかな」と落書きしたものが、今も残る。境内には勝海舟宿泊記念碑も。

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