最後の決戦―大坂の陣 生涯のライバルの居城や本陣跡
茶臼山の戦いの舞台、大阪城、堺の“伝説”
大阪も家康ゆかりの地が多数ある。
天下分け目の関ヶ原の戦い(1600年)で勝利した家康は征夷大将軍として江戸に幕府を開いたが、その体制を盤石なものとするために、依然として大阪城を拠点とする豊臣家を滅ぼすため大坂冬の陣(1614年)と大坂夏の陣(1615年)を仕掛けた。
冬の陣で、家康が本陣を敷いたのが四天王寺の南西に位置する茶臼山。標高26メートルという小さな丘だが、大阪城を攻防する要衝の地だった。冬の陣後の講和で真田丸を失った真田幸村は夏の陣の時に拠点を設けた場所でもあり、「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台でもある。今は、山頂に大坂の陣を模した史料や地図、石碑などが設置されている。
現在の大阪城は、大坂の陣で天守が焼失した後、家康の指示で二代将軍の秀忠が築いた石垣の上に建てられたもの。豊臣家の遺構を残さないためだったという。
大阪市内の家康紀行は、大阪観光ボランティアガイド協会(電話090―3059―6923)の案内でより深まる。
大坂の陣で苦戦した家康の驚くべき伝承が残されているのが堺市の「南宗寺」。境内の一画に「東照宮 徳川家康墓」と刻まれた碑が残る。実は、大坂夏の陣で茶臼山の激戦で家康は後藤又兵衛の槍に突かれて南宗寺まで運んだが、すでにこと切れていたという。正史ではまったく取り上げられない伝承だが、それを裏づけるものが寺にはいくつも伝わっている。堺観光ボランティア協会(電話072―233―0531)のガイドに案内してもらうと、もうひとつの日本史がまことしやかに浮かび上がる。
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