光秀の思いが残る城下町 丹波亀山城跡やききょうの里/亀岡
光秀のまちづくり 今も残る息吹感じて
明智光秀と亀岡市の関係は、天正3年(1575年)の織田信長による丹波進攻から。その任務を負った光秀は亀岡市に本拠を築き、丹波平定を成し遂げた。統治者としては治水工事や税軽減などまちづくりを進め、地元では名君として慕われるなど功績を残す。だが、この地から、主君を打ち果たさんと本能寺へと赴くことになる―。
光秀が何かしらの“理想”を持って治めた亀岡。今も残るゆかりの地を訪ね歩き、光秀の“理想”に思いを馳せよう。
JR亀岡駅南口から歩いてすぐに丹波亀山城跡はある。丹波進攻の軍事拠点として築城され、本能寺へはここから出陣したとも伝わる、光秀の生涯を語るうえで欠かせない地だ。今は内堀跡や本丸付近の石垣が残り、往時の威容を伝えている。
城下町に出よう。丹波亀山城の堀は南郷公園として市民の憩いの場に。毎年5月3日には「亀岡光秀まつり」が開かれ、武者行列が勇壮に練り歩く。昨年のまつりの際には、光秀像を竣工。亀岡の新たなシンボルとして早くも定着してきた。
外堀は古世親水公園となり、近くの坂部児童公園にも惣堀跡が残る。大手門があった地には形原神社が建つ。
城下町の町並みは、光秀が整備した原型が。京格子や虫籠窓などの家屋、紺屋町や呉服町といった町名にも古くからの町屋文化を感じさせる。
そして湯の花温泉の先、国道372号線を西へ進むと、光秀を供養した谷性寺(こくしょうじ)がある。光秀の首塚が祀られた、別名「光秀寺」。丹波亀山城下町の門も移築されるなど、ゆかりは深い。門前では6―7月、明智氏の家紋、桔梗が咲き誇り、「ききょうの里」として毎年多くの人が訪れる。今年2020年の光秀イヤーを見据え、造園工事も進行中だ。
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