明治から神田を見てきた ニコライ堂
17/09/15
正教布教の拠点に 国重文に指定
ニコライ堂は、正教会の大主教ニコライが1891年に完成させた。ニコライは幕末の1861年に、函館のロシア領事館付属聖堂の司祭として来日、その後、日本での正教布教の一環で神田駿河台にニコライ堂を建設した。設計はジョサイア・コンドルが担当した。
ニコライは日本語や日本文化への造詣が深く、この地を選んだ理由の1つに、神田駿河台という地名があったと言われる。神田の神の文字を、正教布教の拠点としてふさわしいと考えたと伝わる。
立地のもう1つの理由が標高35メートルという高さ。駿河台は江戸時代に高所で見晴らしが良かったことから常火消の屋敷が置かれた場所。もともと教会は、信仰に迷う人々がすぐに訪ねられるようにと、目立つ場所に建てられることが多いそう。今でこそビルに囲まれたニコライ堂だが、建設当時、大地に立つ白亜の教会は、建築の珍しさも手伝い、多くの人の目に関心を持って見られたに違いない。
漆喰の外観からは分かりづらいが、建物はレンガ造り。関東大震災でドームなど一部が崩壊、消失したが、その後、修復され1962年に国の重要文化財に指定されている。
毎週日曜日には信者が集い、礼拝と合唱団による歌が披露される。
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