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志士を育てた女性 松陰の妹・文、萩や防府にゆかり

色濃く残る足跡

「花燃ゆ」のヒロイン文は天保14年(1843年)、萩城下の東郊外に位置する松本村(現萩市椿東)に生まれた。父・百合之助、母・滝の四女としてあたたかく明るい家庭に育った。萩市街を一望する団子岩には杉家跡地が残る。

次兄の寅次郎(のちの吉田松陰)とは一回り年齢が離れていたが、ずいぶんと気にかけられていたらしい。松陰が松下村塾を開くと、文のまわりにも自然と幕末に活躍する逸材が集った。

その中に、松陰がその才を惚れ込んだ久坂玄瑞がいた。安政4年(1857年)、松陰は文と玄瑞を結婚させる。しかし、玄瑞は尊王攘夷運動の中心的な人物として京や江戸を駆け巡ったため、文と過ごす時間は限られたものだった。元冶元年(1864年)、玄瑞は禁門の変に敗れ自害、文は22歳の若さで寡婦となった。

その後、文は毛利元徳の嫡子元昭の守役となり明治を迎えた。

兄・松陰の盟友で初代群馬県令として活躍した楫取素彦(小田村伊之助)に嫁いでいた姉・寿が亡くなり、41歳になっていた文は素彦と再婚。素彦は元老院議官、貴族院議員などを歴任し、明治26年(1893年)、防府市に居を移した。防府では私立幼稚園の設立などに尽力し、素彦は大正元年(1912年)、文は大正10年(1921年)に亡くなった。79歳だった。防府市の桑山には夫婦の墓がある。

文のゆかりの地めぐりは、萩市と防府市に大河ドラマ館が設けられるのをはじめ、松下村塾や杉家旧宅、三田尻御茶屋旧構内など史跡が現存する。

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