山鹿の名刹 日輪寺と金剛乗寺
義士まつりで赤穂義士を顕彰 日輪寺
赤穂義士といえば忠臣蔵だが、山鹿市には赤穂義士と関係する日輪寺という寺がある。
赤穂義士は12月14日吉良邸に討ち入り後、大石内蔵助ら17人が江戸高輪の細川藩にお預けになった。翌年の2月4日の切腹までの50日間、接待役だったのが堀内伝右衛門という細川藩士で、17人から切腹前に遺髪と遺品をもらい受けた。
その遺髪を自分の知行地に持ち帰り、供養のため寺の境内に遺髪塔を建てた寺が日輪寺というわけだ。
現在でも同寺では赤穂義士の命日になる2月4日に供養と顕彰を兼ねた義士まつりが営まれる。2002年には兵庫県赤穂市とも姉妹都市締結を行っている。
アーチ状の石門 金剛乗寺
空海によって開かれた真言宗の名刹「金剛乗寺」。かつては西の高野山と呼ばれた。墓所には中世末期の宝塔や板碑などが残っている。
寺の目印は入口にあるアーチ状の石門。1804年(文化元年)に造られたとも伝わる山鹿市の特別文化財工芸品となっている。異国情緒漂う珍しいデザインは地域の人たちに愛されているという。
なお、さくら湯、八千代座、山鹿灯籠民芸館の入場券を山鹿温泉観光協会で購入すると、旅行会社への手数料が出るキャンペーンを実施中。
歴史公園鞠智城も見逃せない
7世紀後半に大和朝廷は友好関係にあった朝鮮半島の百済が唐・新羅に滅ぼされ、その再興のために送った援軍も大敗。日本本土が侵攻される国家存亡の危機に直面した際に北部九州から瀬戸内海沿岸に至るまで各地に城塞が築かれた。この外敵を迎え撃つための城塞を古代山城と呼ぶ。
菊池川流域の山鹿市と菊池市にまたがる鞠智城も、そういった目的で建てられた。
現在の国指定史跡歴史公園鞠智城は、熊本県が発掘調査を進めてきたものを公園化。城域55ヘクタールのうち、44ヘクタールを公有化し、鼓の音で時間を知らせた八角形鼓楼、食料を保管した米蔵、防人たちが生活した兵舎、武器庫と見られる板倉の4棟が復元されている。
そのほかガイダンス施設の温故創生館、展望休憩所、展望所、研修施設がある。
温故創生館は無料。開館時間は9時30分―17時15分。
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