光秀育むふるさとを訪ねる 一族ルーツの地、明智荘を歩く/可児
桔梗坂を上り明智城跡へ
可児市・明智荘(あけちのしょう)。前半生に謎の部分が多い武将、明智光秀だが、諸説あるものの、この荘園が生誕の地であるとされる。明智城落城まで約30年暮らした地には、一族ゆかりの史跡が今も残る。「明智光秀博覧会」からもほど近い明智荘を訪ね歩き、光秀を育んだ風土に触れたい。
光秀は、通説では美濃国守護・土岐氏の流れをくむ土岐明智氏の一族と伝わる。明智荘は土岐明智氏発祥の地で、光秀は1528年に出生後、1556年の明智城落城まで一族とこの地で生きたとの記録が残る。いわば光秀の“ルーツ”が残る地ということだ。
明智荘、今の同市瀬田地区は、高台から平地へ向かってなだらかな傾斜地に静かなたたずまいの集落が広がる。山頂の明智城跡の麓には寺院が点在、東屋敷や西屋敷、大屋敷といった地名が残り、往時の武士たちの権勢を感じさせる。
まずは集落を歩き、光秀と一族が暮らした明智城跡を目指す。寺院と田畑、家屋が並び、高台からは市内を一望できる。寺院群を抜けると、明智城跡への入口だ。
本丸までは、沿道に明智の家紋「桔梗」が植えられている桔梗坂を上る。少しすると大手門が出迎え。再現されたものだが、木の枠組みによる門構えが山城としての威厳を感じさせる。ハイキング気分で約10分、山を登ると本丸跡。城址を示す石碑が建つのみだが、現在、ここに光秀のブロンズ像を建てようと寄付金を募る取り組みも進む。展望台から眺める風景に、在りし日の光秀に思いを馳せる。
下山すると、明智一族の供養塔と伝わる「六親眷(けん)属幽魂塔」が建ち、もう一つの光秀ゆかりの地、天龍寺へ。明智一族歴代の墓所と伝わる石造物群があり、本堂には高さ180センチ超で日本一大きな光秀の位牌もある。毎年6月には「光秀供養祭」も行われており、ファン必訪の地といえるだろう。
さらに下り瀬田川を越えると光秀の産湯の井戸跡を示す解説版も。最寄りは名鉄明智駅。明智荘は生活道路のため暮らしに配慮しながら歩こう。
地元では「明智荘を見つめる会」を結成。大河ドラマを機に地域を盛り上げ、おもてなしを磨こうと取り組んでいる。ガイドの育成も進め、今年には団体向けガイドも対応していくという。
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