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高野山、熊野にもゆかりの地/豊臣兄弟の足跡残る和歌山県

寺社仏閣に一族の歴史が今に伝わる

「豊臣兄弟!」ゆかりの地や関連する場所は高野山、熊野、根来・粉河と和歌山県内の多くのエリアに点在している。

高野山エリアでは、まず金剛峯寺が挙げられる。高野山真言宗の総本山で、秀吉・秀長が母・なか(大政所)の菩提を弔うために創建した青巌寺が、興山寺と統合され金剛峯寺となった。秀吉の定紋「五三の桐」は、秀吉が青巌寺を高野山に寄進したことで拝領したものだ。また金剛峯寺の柳の間は、秀吉に謀反の疑いをかけられた秀次が自刃した部屋で別名「秀次自刃(じしん)の間」。柳の間には狩野探斎が描いた「雪柳白鷺」が掛けられ、白鷺の眼は当時からの様子を今も見つめているかのようだ。秀次の墓は、高野山内の光臺院にある。

さらに、高野山の奥之院には高野山を焼き討ちしようとした秀吉を諫めた興山応其上人(こうざんおうごしょうにん)」の廟がある。上人は、秀吉から「高野の木食(もくじき)と存ずべからず、乞食が高野と存ずべし(応其あっての高野山)」とまで言わしめた元武士出身の僧で、和歌にも優れた文人の顔も持っていた。紀州平定時、和睦の使者として訪れた上人の説得に感じ入って帰依した秀吉は高野山焼き討ちを取りやめ、一転して高野山の保護と復興に尽くした。その過程で上人は、高野山内25棟の堂塔再建を監護。京都の東寺や醍醐寺の修繕、方広寺の大仏殿造営など、秀吉が各地で行った寺社復興事業にも携わった。

大塔

国宝に指定されている大塔(左)は、
秀吉の紀州攻めの戦火を逃れた

高野山奥之院は、弘法大師空海の御廟がある高野山信仰の柱。その参道には皇族や大名、文人などの供養塔、墓石が20万基以上並ぶ。豊臣家墓所もあり、秀吉や秀長をはじめ、豊臣家一族が眠っている。

高野山奥之院

高野山奥之院の豊臣家墓所

高野参詣道黒河道(くろこみち)は太閤道とも呼ばれる。鳴り物禁止の高野山で騒々しい歌会を催していた秀吉が突然の雷雨に見舞われた。弘法大師の怒りを恐れた秀吉は、馬で黒河道を駆け下りて宿場町・橋本に至ったと伝わる。

高野山

秀吉が駆け下りた黒河道

熊野エリアの那智山青岸渡寺の本堂は、観音信仰が篤い母の願いを受けた秀吉の命を受け、秀長が再建した。本堂内には秀吉が奉納した直径1・4㍍、重さ450㌔の「日本一の大鰐口(おおわにぐち)」があり、豊臣家の子孫繁栄や武運長久への願いが刻まれている。戦国期の戦災で溶けた奈良・東大寺大仏の銅を使って製作されたという。本堂後方からは那智の滝、朱塗りの塔などの光景を楽しめる。

熊野本宮大社の宝物「神額(しんがく)」は秀吉の息子・秀頼が奉納したもの。銘の「秀頼卿御再興」は社殿再建を表す。秀吉が藤堂高虎に命じた本宮社殿造営は、秀吉の死後に竣工した。奉納時は四方に縁が存在し、黄色く変色した部分は黒漆、左右の龍や文字は金色だったという。

根来・粉河エリアの根来寺は、戦国時代に強力な武装集団「根来衆」を擁し鉄砲技術でも知られた巨大宗教勢力だった。秀吉の紀州攻めで、ほとんどの堂塔が焼き払われ壊滅的な打撃を受けた。戦火を逃れた国内最大級の木造塔・大塔と大門は国宝に指定されている。 

粉河寺は、秀吉の紀州攻めで境内の堂塔伽藍は焼失。紀州徳川の時代に再建し、現在は国の重要文化財である大門、千手堂、中門、本堂をはじめ、県の文化財である本堂や庫裡、護摩堂など数多くの文化財が境内に点在している。

猿岡城跡は根来寺と並び大勢力を誇った粉河寺が防衛力を向上させるために築いたもの。秀吉の紀州平定後に入城した藤堂高虎は粉河寺牽制のために改築を行ったが、その後廃城した。現在の城跡一帯は秋葉山公園として整備され曲輪と石碑が残るのみとなっている。

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