戦国武将どもの唐津に夢のあと(1) 名護屋城中心に陣跡点在
14/06/23
戦国末期の主要舞台
戦国時代の末期、唐津市鎮西町には、大坂城に匹敵する規模の城があった。豊臣秀吉が企てた文禄・慶長の役で、朝鮮出兵の最前線だった。城の名は「名護屋城」。今なお高くそびえる石垣は城の規模を想像するに難くない。そして名護屋城を囲むように数多の戦国武将の陣跡が残る。徳川家康、伊達政宗、前田利家、黒田長政と名だたる武将が名を連ねる。ガイドツアー「肥前名護屋城さるき」も実施され、郷里やゆかりのある武将の陣跡を訪ねる楽しさがある。
名護屋城は、1592年―1597年に朝鮮半島へ出兵した文禄・慶長の役を機に築城。黒田官兵衛が設計し、加藤清正ら西国大名が建設にあたった。金箔瓦が輝く五層の天守閣を中心に、数多くの殿舎や櫓が築かれていたという。
城の総面積は約17万平方メートル。日本城郭史上でも特筆される規模で本丸や二ノ丸、三ノ丸、遊撃丸、弾正丸、台所丸など、大小11 の付属曲輪からなる壮大な平山城だった。最盛期には城下町の人口が10万人に達したといわれる。
城跡では秀吉が日常生活を送っていたとされる山里丸など城郭のあらましが分かる。前日までの予約で大手口から東出丸、三の丸、本丸、天守台を約40分かけて案内するボランティアガイドを手配できる。
特筆すべきなのは、城を中心に半径約3キロに点在する戦国武将の陣跡。名護屋城周辺には全国から160もの武将が集ったといわれる。現在は130あまりの陣跡が確認されており、そのうち23カ所は特別史跡に指定されている。
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