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そして姫たちは伊勢・津へ 三姉妹育んだ風土訪ねて

浅井三姉妹と母・市は小谷城落城後、9年間を津で暮らした。現在、彼女らの足跡はほとんど見ることができないが、幼い三姉妹を育んだ風土は感じることができる。

小谷城が落城した後、三姉妹と市は、市の兄である織田信包(のぶかね)が城主だった伊勢上野城に預けられた。そののち津城が完成すると信包らと津城へ移り、本能寺の変まで津の町で過ごした。

伊勢上野城跡は旧参宮街道を見下ろす丘陵上にあり、中心部分は本城山青少年公園となっている。展望台がある場所は本丸の北西隅にあった櫓台で、天守相当の櫓が設けられていた可能性が高いとされる。

過去の発掘調査で、信包が築いた伊勢上野城は瓦葺の建物や石垣もなく、規模も小さかったと考えられている。

かつて安濃津城といわれた津城跡内の本丸、西之丸跡は「お城公園」として整備され、桜の名所になっている。庭園内には江戸時代初期、築城の名手と言われた藤堂高虎の銅像などがある。近年、隅櫓と多聞櫓の図面が発見され、模擬隅櫓が復元されている。

文献によれば築城時の本丸周囲は沼地に囲まれ、曲輪どうしは橋で連絡していたそうだ。本丸の西側に局丸と呼ばれた曲輪があり、三姉妹はここで暮らしたといわれる。

四天王寺は、信長や市、信包の生母で三姉妹にとって祖母に当たる・土田御前の墓が残る。重要文化財指定の藤堂高虎夫妻の像など多くの寺宝を所蔵している。

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