信長・秀吉…名残求めて歩く 北近江は”戦国エコミュージアム”(2)
姉川の合戦後、小谷城落城までは3年の月日を要している。その間に信長は、長浜市と米原市の境にある横山に城を建て秀吉を置いた。横山城跡へは、米原市側の観音寺(後に秀吉と石田三成が出会った「三献の茶」の舞台)からハイキングコースが整備されている。
亮政、久政、長政の浅井三代の墓は長浜市の徳勝寺にあり、後に初が嫁ぐことになる京極家の菩提寺、米原市の徳源院には歴代当主の墓所が設けられている。現当主は東京に住むサラリーマンだそうで、毎年春に墓参りに訪れるそうだ。
姉川の古戦場から小谷城跡に向かい、小谷山の南東麓にある須賀谷温泉。市が愛した温泉だ。近くの近江孤蓬庵は、浅井家の家臣であり茶人、作庭家としても知られる小堀遠州の菩提寺。枯山水と地泉回遊式の庭園は必見だろう。
信長の小谷城攻めの間、観音像を焼き討ちから守るため村人が川の底に埋めて守ったと伝わる湖北の観音さま。代表格は、長浜市高月町の渡岸寺(向源寺)に安置されている国宝十一面観音立像だろう。湖北一帯は数多くの観音像があり、県内外から信仰に訪れる人が多い。
小谷城落城から9年後の1582年(天正10年)、本能寺の変で信長が最期を遂げ、市と三姉妹の環境も再び風雲急を告げる。市が再婚した柴田勝家と秀吉の間で跡目争いが勃発、翌年には両者が賤ヶ岳で戦った。福島正則や加藤清正ら秀吉軍の若侍7人が「七本槍」として名を馳せたのがこの戦い。賤ヶ岳には現在登山リフトが架かり、山頂から南側は小谷城や虎御前山、湖北平野、北側は余呉湖を眺められる。
このほか、戦国期の戦いを一変させた鉄砲の里として知られる国友町の国友鉄砲の里資料館、秀吉が築いた長浜城の大手門を移築した長浜市街の大通寺など、三姉妹が生きた戦国期ゆかりの地は数多く点在する。日本史が大きく転回した舞台、湖北を巡る歴史探訪の旅は尽きないのだ。
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