朝来―養父「鉱石の道」 産業遺産群に昭和の思い出
但馬地方南部、朝来市と養父市には、中世から近代にかけて鉱山のまちとして栄えた地域がある。昭和後期に閉山されたが、今も産業遺産群が点在。それらをつなぐルートは「鉱石の道」として往時をしのばせる。
リアルな生野銀山から「一円電車」の明延鉱山まで
朝来市生野町は、「生野銀山」があったまち。1200年の歴史を誇り日本の産業の発展を支えた。明治時代、銀は姫路まで運ばれ、その道は「銀の馬車道」と呼ばれている。昭和48年の閉山後も鉱工業が営まれ、鉱山のまちは今も健在だ。
史跡となった生野銀山は観光坑道として当時の作業風景を伝えている。全長約1千メートル、往復40分の坑道内は迷路のようで、エレベーター立坑や人車、落盤対策、江戸時代のノミの跡など当時の姿が目の前に。設置された数多くの電気仕掛けの人形は、まるで生きているようなリアルさで当時の鉱夫の働きぶりを伝えている。料金は大人900円、団体割引あり。
周辺の口銀谷地区は、旧鉱山官舎やトロッコの軌道跡など当時の名残が残る。レトロな町並み散策もいいだろう。
朝来市から養父市へ向かう途中、山の急斜面に張り付く巨大なコンクリート製の建造物が目をひく。神子畑選鉱場跡。養父市にあった明延鉱山の鉱石を選鉱していたもので、東洋一の生産高を誇った。今はひっそりとたたずむだけだが、その威容は近代工業の発展が生んだ"城跡"のようにも思えてくる。近隣には、国重文で日本最古の鋳鉄橋・神子畑鋳鉄橋もあり鉱石の道の面影が残る。
養父市に入ると明延鉱山跡地が。日本一の錫の鉱山として名を馳せ、昭和62年に閉山するまで4千人の鉱夫で賑わったまちは、今は静か。650メートルの探検坑道や共同浴場跡などが往時の姿を伝えている。
明延では鉱山従業員の通勤の足「一円電車(明神電車)」復活への取り組みが進む。神子畑まで一円で乗車できたもので、昨年明延振興館近くの空き地にレールを敷き、常設。4―11月の第1日曜に試乗できる。
日本の近代化の一翼を担った道をたどり、昭和の面影を探してみたい。