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藩主ゆかり「さくら湯」 山鹿で温泉と歴史探訪

古くからの町並みが残る豊前街道界わいは、かつて町屋や寺社、茶屋などが500軒ほど建ち並ぶ宿場随一の繁華街だった。間口が狭く奥行きが長い町屋の地割りは今も変わりなく、当時の雰囲気を伝えている。街道沿いには、江戸時代から伝わる芝居小屋「八千代座」や江戸時代には藩主の休憩処「御茶屋」に由来する「さくら湯」が復元されるなど、山鹿でしか見ることのできない施設が点在しており、山鹿に訪れた際にはぜひ立ち寄りたい。郷土の菓子もあり、食べ歩きながらの散策も楽しめる。

かつての市民温泉が現代に復活

最初に紹介したいのが「さくら湯」。2014年(平成26年)、江戸期の建築様式を色濃く残す大浴場を再生し、貴賓湯として使われた龍の湯を再現した。浴室は大理石と木材を多用し気品を感じさせる空間に仕上がっている。

さくら湯

大理石と木の趣が気品を生む
さくら湯浴室

建物も南北に唐破風玄関を備えるさくら湯最大の特徴である「十字クロス構造」になっており、古きよき時代の趣のあるたたずまい。

さくら湯

唐破風玄関を備える
さくら湯外観

さくら湯は肥後細川藩初代藩主の細川忠利公が山鹿温泉の湯を気に入って1640年(寛永17年)にさくら湯の起源となる御茶屋を新築。完成の際には剣豪・宮本武蔵を招待した。

明治初期に細川藩から払い下げられた際、山鹿の旦那衆をはじめとする地域の人たちの尽力によって大改修工事を実施。市民温泉としてのさくら湯が誕生した。

1898年(明治31年)には愛媛県松山市の道後温泉本館を建てた棟梁・坂本又八郎氏を招いて、再度大改修工事を行った。このとき浴室を北側に拡張し、唐破風玄関が設けられた。

時は流れて昭和期に入った1973年(昭和48年)、大規模再開発事業でさくら湯は取り壊された。75年(昭和50年)にできた再開発ビル「温泉プラザ山鹿」内にさくら湯が造られ、2009年(平成21年)まで営業を続けた。そして再度、2014年に昔の面影を残すさくら湯が再現され、新たな歴史の幕が開け現在に至っている。

さくら湯の泉質はアルカリ性単純温泉で美人の湯として知られる。入浴時の肌のスベスベ感は心地いい。入浴料金は大人300円。開館時間は6―24時。休館日は毎月第3水曜日。

豊前街道と国道325号が交差する山鹿市中心部の公園内には「あし湯」があり、まち歩きの途中に立ち寄れる。

あし湯

まち歩きの休憩は「あし湯」で

温泉とゆかりのある「金剛乗寺」は、山鹿温泉が枯渇した際に温泉を復活させた住職の逸話が残る。境内では今も山鹿で最も古いといわれる源泉から絶えず湯が湧き出している。寺の目印は入口にあるアーチ状の石門。1804年(文化元年)に造られたとも伝わり、山鹿市の特別文化財工芸品となっている。異国情緒漂うデザインはひときわ目を引く存在だ。

金剛乗寺

金剛乗寺の石門

「光専寺」は1578年(天正6年)の創建。熊本城築城の際に余った木材を使って造ったという重厚な楼門は400年以上もの歴史を刻む風格がある。江戸時代に寄進された一切経全巻は3千巻にも及び、今も本堂に保管されている。

1846年(弘化3年)や1971年(昭和46年)の大火でも焼けることがなく、地蔵尊の先でピタリと火が止まるという地元の守り神の「火除け地蔵尊」は、豊前街道屈指のミステリースポット。御堂に石を奉納すると、いつのまにか丸くなっているという話も。

「八千代座管理資料館夢小蔵」には刀や槍など約1500点の小道具が展示されている。

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