歴史の節目に登場 益田市(島根県)
日本海の鎌倉に風情と食を求めて
萩・石見空港のある益田市は、日本海の鎌倉と呼ばれるにふさわしい歴史と景観を残すまち。
時代の節目節目に益田は登場する。はじめは鎌倉幕府成立のころ。石見国司だった御神本氏は西国の中では珍しく源氏側につき壇ノ浦で平家を破る。その軍功として幕府の成立とともに1192年、益田の七尾城に拠点を移し、姓を「益田氏」と改めた。その後、城下町や港湾の整備に取り組み、当時の様式は萬福寺などに今も残る。
世界十大文化人に選ばれている画聖・雪舟も益田ゆかりの人物。1479年、益田兼堯は山口の大内家から雪舟を招き、その間、兼堯像を描いたほか医光寺と萬福寺に2つの雪舟庭園を残した。人生の終焉も益田の東光寺(現在の大喜庵)で迎えたといわれている。
時代は下り、天下を二分した関が原の戦いのころ。益田元祥は、西軍の毛利家につく。戦いに敗れた益田氏は、毛利家について萩(須佐)へ拠点を移し、以後、永代家老として長州藩の毛利家を支えた。城主がいなくなった益田のまちは、右田宗味によって宗味市が開かれ、商都として栄えていくことになる。
そして幕末。須佐に設けた「育英館」はその後、明治維新の多くの立役者を生み出す原動力となった。第二次幕長戦争で、益田は「石州口の戦い」の舞台となった。
食材も豊富。益田に面した日本海は荒々しいイメージを覆しエメラルドに輝く。真紅に染まる夕陽の後は漁火が広がりロマンチック。この海には新鮮で甘い味覚が特徴のイカ、約10センチにもなる巨大なハマグリなど新鮮な海の恵みがたっぷり。
川もいい。市内を流れる高津川はこれまでに4回も水質日本一に輝いた清流。生臭さや泥臭さのない天然鮎は全国的なブランド品で、上流で栽培される「匹見わさび」は強い香りと甘みが通の支持を得ている。
果物や野菜の栽培が盛んで、アムスやアールスメロンなど年3回も収穫されるメロンはぜひ味わいたい。
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