人と自然が共生する阿蘇の魅力
知ってました? 6万人がカルデラ内で生活
世界最大級のカルデラ(火口原)がある阿蘇だが、カルデラのイメージが強く、それ以外の阿蘇の姿を知る人は少ないようだ。今回は「知っているつもり」になっている阿蘇について紹介していきたい。
まず、「阿蘇山」という呼び名についても、実際には「阿蘇山」という山はなく、根子岳・高岳・中岳・烏帽子岳・杵島岳の阿蘇五岳と北側の阿蘇谷、南側の南郷谷、さらにこれを取り囲む外輪山を含めての総称が「阿蘇山」だ。
ここで質問だが、阿蘇五岳の中で今も噴煙を上げているのは、どの山か? 答えは中岳である。
杵島岳と往生岳から派生した火口が米塚だ。阿蘇に行って最も記憶に残る山の一つが火口だったことはご存知だっただろうか。女性に人気のこの美しい山の標高は、954メートル。名前の由来は阿蘇神社の祭神「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」が収穫した米を積み上げてできたという伝説からで、頂上には直径100メートル、深さ20メートルの窪み(火口)がある。この窪みは健磐龍命が貧しい人たちにお米を分け与えた名残りだといわれている。
カルデラもどのようにできたのか。今から約27万年前に、阿蘇で大噴火が起こり、高温のガスと灰の混ざったものが砕けた岩とともに噴き出した。いわゆる火砕流と呼ばれるものだが、約9万年前まで爆発を繰り返し、地底のものを全部吐き出し、地下はカラッポの空洞になった。
そのため地盤は陥没し、大きな窪地ができた。これが現在の外輪山に囲まれたカルデラだ。カルデラが生まれたあとは雨水が溜まって湖になり、地殻変動や侵食作用によって立野の火口瀬ができた。湖の水はそこから流れ出して、カルデラの中に新しく中央火口丘群が噴出し、現在のような形になった。カルデラとはポルトガル語で鍋、釜といった意味だという。
水が引いたあとのカルデラにはやがて原始農耕が営まれ、人が住みつくようになった。約1万9千年前のことだ。平均標高900メートルの屏風のような外輪山は東西18キロ、南北24キロ、面積380平方キロメートル、周囲は120キロあり、現在外輪山の内側にあたるカルデラの中には6万人が生活を営んでいる。
日本の草原の4割が阿蘇 野焼きなどで自然守る
また、阿蘇は2万3千ヘクタールに及ぶ広大な緑の草原や森林、農地などからなり、希少な動植物を育み、米や牛肉などの食料供給地でもある。日本の草原の4割が阿蘇が占めているといわれる。
さらに、阿蘇は自然景観がそのまま残っているようにも見えるが、阿蘇のシンボルとも言える草原は地元の人たちによって維持管理されている。草原は毎年、火をつけて焼き払う「野焼き」や防火帯作りをしなければ数年で雑木に覆われてしまうといわれ、人の手によって阿蘇の自然は守られていることを知っておきたい。
あれだけ広大な自然が残っていながら、世界遺産や文化遺産にならないのは人の手が入っているからだが、人の手が入っているからこそ、今の阿蘇のすばらしい景観が残っている。いってみれば阿蘇の人たちはカルデラの中で生活し、阿蘇と共に生きているということになり、人と自然が共生する「阿蘇版自然景観遺産」と呼んでもおかしくないだろう。こういった人の手が入ることで自然が守られるケースは今後、これまで以上に評価されるに違いない。
「環境にやさしい」あか牛も自然保護に貢献
阿蘇を車やバスで走っていると必ず草原で目にする赤茶色の放牧牛が「あか牛」だ。あか牛は4―11月に阿蘇の広大な草原で放牧され、大自然の中で運動し太陽の光をたっぷり浴びた牧草を食べて育つ。そのため、あか牛の肉は適度に脂肪がのり、和牛ならではの風味が豊かで柔らかい。
このあか牛は「環境にやさしい牛」としても評価される。草原はあか牛が歩くことで整地され、あか牛が伸びた牧草を食べるので草原が荒れることを防いでいるからだ。阿蘇の美しい草原を維持するためには、あか牛はなくてはならない存在になっている。
あか牛は、明治の終わりに地球上に初めて姿を見せた牛になるそうで、昔から阿蘇の原野に放牧されていた在来和牛が赤毛や灰毛など色もバラバラで発育も遅く小型であったため、品種改良の結果誕生したという。
このほか、あか牛の体に1回1万円で毛染めでネームを入れることができるそうで、何万頭いるあか牛の中からネーム入りのあか牛を見つけることは、ほぼ困難に近い。
旅館関係者によると「旅館組合加盟旅館の屋号が入ったあか牛や自分が泊まる旅館のネームが入ったあか牛を見つけたら何か特典をつけるような取り組みもおもしろい」と話し、実現に向けて前向きに取り組む姿勢だ。