やまなみコラム 飯田高原と川端康成
14/08/21
芸術家の琴線にふれる景観
文豪・川端康成は昭和27年(1952)10月と翌28年6月に飯田高原を訪れている。この2回の九重への来訪が小説「浜千鳥」の執筆へとつながった。
九重の美しい景観が九重を舞台にした小説を川端康成に書かせたわけだが、まだこの時代にはやまなみハイウェイは開通しておらず、道路も舗装されていなかった。おそらく東京から九重へ来るのは簡単なことではなかっただろう。
いくら古くから親交のあった高田力蔵画伯が描いた九重の絵に感動しての来訪とはいえ、まだ交通の便がよくなかった時代に2度も九重に来たのは、よほど心魅かれるものがあったに違いない。
「浜千鳥」のなかでは「飯田高原は多くの人もいうように、ほんとうにロマンチックななつかしさです。やわらかくて、明るくて、そしてはるばるという思いをさせながら、静かに内へ抱きつつまれたという思いをさせます」と書いている。
宿泊したのは法華院温泉だという。
その後、やまなみハイウェイもできて、九重や飯田高原には来やすくなったが、今でも九重の景観は川端康成と同様、来訪者にロマンチックななつかしさを感じさせてくれている。
後年、黒澤明監督の最後の時代劇となった「乱」(85年公開)は飯田高原で撮影された。黒澤監督の弟子と称するスティーブン・スピルバーグ監督もやまなみハイウェイ沿いの展望所から見た景色を絶賛したという話が残っている。芸術家の琴線にふれる景観が九重や飯田高原にあるのかもしれない。
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