やまなみコラム 魅力あふれる景観に
「美しい夢の国」を今一度
「本当に美しい夢の国がここに浮かんだような高原でした」。
かつて文豪・川端康成は、小説「浜千鳥」の一説で、九重について、このように評しています。
川端康成がこの地を訪れた昭和20年代は道路も今のように整備されておらず、たいへん苦労してこの景色を観たことでしょう。
時を経て、日本は高度経済成長期に突入。東京オリンピックに沸き、それにあわせて東海道新幹線の開業、日本初の高速道路が建設されました。しかし、九州の田舎ではまだまだ砂利道が多く、舗装された道路も少ない状況でした。
そんな時代に、別府観光の父である油屋熊八は、別府―阿蘇を結ぶという夢を実現しました。九州一の道路「やまなみハイウェイ」の誕生です。今から50年前のことです。この誕生は夢の国への近道となりました。
やまなみハイウェイの誕生により、人々の生活はよりよいものとなりました。たくさんの観光・宿泊施設が建設され、この地に人を呼び込み、その景観の美しさで多くの人々を魅了していきました。「夢のやまなみハイウェー」という歌も作られるほどです。
池や林道、高原、九重連山、そして阿蘇の山々。やまなみハイウェーを通ると、様ざまな景色に出会うことができます。春は花畑、夏は輝く緑、秋は紅葉、冬は白雪。四季によって表情を変えるそんな魅力溢れる「観光道路」なのです。
しかし、今日ではやまなみハイウェイを知らない人が増えており、地元の人でさえ「あそこはただの通り道だ」という声を聞きます。
今年で50周年を迎えるというのに何のアピールもなく、地元の意識も薄く、盛り上がりが少ないように感じました。
実際に走ってみても、杉林の手入れが行き届いておらず、昔見ることができた美しい景色が見られなくなっているところもいくつかあるようです。
その一方で草原の生態系を守り、長年の景観を保つため、毎年野焼きが行われています。道には「牛馬優先」と掲げられた看板もあり、人と動物、自然が共存する努力がなされています。
地元一丸となって、魅力溢れる景観を保ち、九州一のやまなみハイウェイを日本一へ!そんな日が来ることを私は望みます。
(九観連名古屋事務所 横井妙美)
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