厳島神社や音戸の瀬戸 広島に残る清盛・平家の史跡
活躍の舞台・瀬戸内広島に残る清盛・平家の息遣い
若き日に瀬戸内海の海賊追討で功をたてたのを皮切りに、瀬戸内を舞台に平清盛は活躍した。広島県内には、清盛ゆかりの地が点在する。
そのシンボル的な存在は宮島の「厳島神社」。宋との貿易は清盛に冨と権力をもたらした。そのため「航海の神」をまつる厳島神社を平家の氏神にしようと、清盛は莫大な費用をかけて造営した。平安時代の寝殿造りの粋を極めた社殿、海上に浮かぶように建つ鳥居など、その姿は「極楽浄土」を現したと言われている。
宮島には、清盛が一字一石の法華経を刻み納めたとされる「清盛塚(経の尾)」、清盛の業績を称え霊を慰めるため建立された「清盛神社」、清盛の妻時子を弔う石燈籠「二位殿燈篭」など、平家ゆかりの史跡が点在。1月14日にオープンするドラマ館「平清盛館」ももちろん外せない。
厳島神社の参詣や宋との貿易発展のため、安全で効率のいい航路を必要とした清盛は、ある場所の掘削を考える。沈みかけた夕陽を清盛が呼び戻してわずか1日で開いたというのが「音戸の瀬戸」。1日に数百隻が行き交う「瀬戸銀座」として今も瀬戸内の要衝だ。
音戸の瀬戸周辺にも清盛関連の見どころが集積する。音戸の瀬戸を切り開いた功績をたたえ1184年に建立した「清盛塚」、清盛が夕陽を招き戻した伝説に基づく「平清盛日招像」に加えて、音戸の瀬戸にもドラマ館が1月14日にオープンする。
広島市南区の「疱瘡神社」は、清盛の側室常盤御前の子、天女姫が病死し神のお告げで清盛が建てたと伝わる。姫のなきがらをオオカミやキツネから守るため、清盛は疱瘡神社を島にする工事を行った。その際の「堀切の半島跡」、作業員の飲み水のために掘った「本川井戸」などを見ることができる。
竹原市の「西方寺」は清盛の長男、平重盛が宋の僧侶から贈られた十一面観音像を安置している。また、竹原市内には「清水の耳なし地蔵」は、娘徳子(高倉天皇妃)の安産祈願で厳島神社に向かう途中嵐に遭い、胸騒ぎがした清盛が石工に命じて彫らせた。しばらくして無事に男児出産の知らせが届いたことから、未完成のまま耳なしでまつられている。
福山市沼隈町の横倉地区は、平家落人の里。清盛の甥、平通盛が屋島の合戦に破れ、落ちのびたとされる。地区内の神社は平家の軍旗と同じ赤色の垂(しで)が注連縄に付けられている。
平家の荘園として栄えた大田庄。平家滅亡後は後白河法皇により高野山に寄進された。高野山領として刻まれた歴史は、世羅町の大田庄歴史館に展示されている。
昨年、国民栄誉賞を受賞したサッカーのなでしこジャパン・メンバーに贈られた「熊野筆」。産地の熊野町には、清盛の信頼が厚かった源頼政がヌエ退治をした絵が榊山神社に残る。見学には神社へ事前予約が必要。
このほか、清盛が愛した瀬戸内海のビュースポットとして、宮島の「弥山」、竹原市の「黒滝山」、三原市の「筆影山」などもお勧めだ。
平清盛 旅のおすすめサイト
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