清盛の足跡色濃い広島 祖谷は「もうひとつの平家物語」
海から山へ 平家が残した伝承をたどる
広島に平清盛が残した足跡は大きい。世界遺産に登録されている厳島神社は、宋(中国)と貿易を通し深く関わってきた清盛が「航海の神」をまつる神社を平氏の氏神として考えて造営したものだ。
厳島神社の建築美と海上に浮かぶような神秘的な佇まいは「極楽浄土を現した」と言われ、長い年月と莫大な費用をかけて完成させた一大事業は瀬戸内海を拠点とした海運ビジネス拡大への挑戦だとも伝わる。
また、宋などとの貿易には効率を求めて瀬戸内海航路の確保が必要であったことから、当時難所だった呉の「音戸の瀬戸」の開削に着工。沈みかけた夕陽を清盛が呼び戻し、わずか1日で開削したとの伝説が伝わる。今でも「平清盛の日招き伝説」として残り、音戸の瀬戸公園には清盛が立烏帽子・直衣姿で日没の方向に扇を向けて立つ日招像が建立されている。
このほかにも、広島には数多くの清盛ゆかりの史跡・施設が残っており、「平清盛観光」に欠かせない地だ。
徳島県・祖谷に目を向けると、ここには清盛が亡くなったあとの伝説が伝わっている。
祖谷を代表する観光名所「祖谷のかずら橋」は、平家一族が追っ手から逃れるために、いつでも切り離せるよう、シラクチカズラという植物で造られている。「奥祖谷二重かずら橋」も平家一族が平家の馬場に通うために架けたと言われ、男橋と女橋の2本があり「夫婦橋」とも言われる。
さらに屋島や壇ノ浦で源氏に敗れた平家は、平国盛が安徳天皇を祖谷に匿い、再興の機会をうかがったが、この地で没したというもの。国盛直系の「阿佐家」が現在まで続き、宝刀や平家の赤旗と呼ばれる旗が所蔵されている。安徳天皇御陵の栗枝渡八幡神社や平家の伏せ墓、国盛ゆかりの鉾神社などが伝承とともに残る。
祖谷地域では、こうした伝承を「もうひとつの平家物語」として商品化。マイクロバスやタクシーで祖谷の平家伝説ゆかりの地をめぐるツアーを用意している。宿泊拠点となる大歩危・祖谷温泉郷発着の約4時間のコースになっている。
平清盛 旅のおすすめサイト
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