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長浜と官兵衛のかかわり 黒田家発祥の地

長浜市内で黒田官兵衛博覧会

滋賀県長浜市は黒田家発祥の地であり官兵衛をはじめ、数多くの戦国武将が志を胸に時代を駆け抜けた舞台。

官兵衛の足跡が残る長浜の地で1月19日から12月28日まで「黒田官兵衛博覧会」を開催する。博覧会は黒田家が屋敷を構えた木之本エリア、主君秀吉の城・長浜城下町エリアで開かれる。

木之本エリアの大河ドラマ館(戦国大河きのもと館)では「軍師官兵衛」のメイキング映像や出演者の写真パネル、衣装展示などを紹介。長浜城下町エリアの歴史館(長浜城歴史博物館)ではテーマ展や特別展を開催し、各合戦の実物資料や復元イラスト、写真パネルで紹介する。城下まち館(曳山博物館特設会場)はガイドツアーの拠点になる。

黒田家の始祖が居を置く

長浜と黒田官兵衛のかかわりは、官兵衛から遡ること八代前、佐々木氏から分かれた京極氏を祖とする源宗満(宗清)が黒田村(現在の長浜市木之本町黒田)に居を置いたのが黒田家の始祖と言われるところから。

その後、黒田家は鎌倉、室町と六代に渡り勢力を張り続ける。しかし六代の高正のときに軍令違反で厳しく批判され、黒田村におられなくなり嫡男重隆(官兵衛の祖父)とともに流浪の身となる。官兵衛の曽祖父の代まで、黒田家は長浜に居住していたことになる。

1973年に溝屋敷と呼ばれる場所から「源宗清」と刻まれた御影石が見つかり、現在、黒田家御廟所が建てられている。

また中国攻めの前に播磨調略に赴いた竹中半兵衛や羽柴秀長らと出会った官兵衛は、織田信長への忠誠の証として嫡男松寿丸(のちの黒田長政)を人質として差し出す。松寿丸が預けられたのが長浜城だ。その後、豊臣秀吉が松寿丸殺害を信長に命じられ、相談された半兵衛がかくまったのが岐阜にある菩提山城。

さらに秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の合戦に官兵衛が参戦していたことが2013年に見つかった文書で明らかになっている。賤ヶ岳の麓の近くにある樹徳寺は、もともと黒田の地にあったものが明治に入り、この地に移ったと言われ、黒田氏菩提寺と伝わっている。

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