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東北ききある記-福島・いわき湯本温泉(1) こいと旅館・小井戸さんと会う

11/05/23

千年に1度の津波がどんなものなのかも見たい。それなら福島にも泊まろう。たくさんの知り合いがいるし、電話取材だけで済ましてきたけじめもつけたい。ゴールデンウイーク後半の週末から月曜にかけて東北ツアーに出かけた。

福島県いわき市。5月7日18時ごろ、磐越自動車道・いわき湯本ICを下りて、いわき湯本温泉に向かう。ちょうど薄暮のころ。「がんばろう東北」「がんばっぺ福島」のステッカーが貼られたコンビニエンスストアの照明がとても明るい。東京のコンビニも以前はあんな明るさだった。今から思えば明るすぎるくらいだ。

ゴールデンウイークとはいっても原発の影響でガラガラだろうと漠然と思っていた「こいと旅館」。稼働させている本館27室はほぼ満室だった。

「東電の協力会社から作業員の宿泊を求められ4月1日から営業を再開したんです」

経営者の小井戸英典さん(55)とは原発からの大量の放射能漏れで20キロ圏内に避難指示が出された直後の3月15日に電話で話した。いわき市は北部の一部が原発から30キロ圏内にかかり、いわき湯本温泉は原発から45キロほどに位置する。海岸からは15キロほど。

小井戸英典さん

「こいと旅館」の
小井戸さん

当時はSPEEDIの予測も公表されておらず、いわき湯本でも多くの市民、旅館関係者が避難を始めていた。小井戸さんの家族も奥さんと高校生の子どもが避難の準備をしているところだった。

もし、早い段階でSPEEDIが公表されていれば、その後、トラックなどが放射能を恐れていわき市への物資の配送を拒否するような事態は起こらなかったかもしれない。実際にはいわき市以上に、原発の北西に位置する地域の方が時間あたりの放射線量は高かった。

小井戸さんは旅館に残った。ほかにも「ある程度の年齢以上」の数人の旅館経営者は避難しなかった。小井戸さんは、いわき湯本温泉旅館協同組合の理事長であり、消防団員でもある。多くの市民が避難したあとは、町内で水や食料、物資の配給を受け持った。

震災後すぐに、ツイッターなどで物資の窮乏を訴えていたこともあり、その後、こいと旅館は物資集積の拠点のような状態になっていく。運送会社には拒否されたが、物資を直接トラックで運んでくれる人もいた。これらを配給した。3月18、19日には群馬県みなかみ温泉の有志がいわき市で炊き出しを行った。

電話をした3月15日の時点では放射能のほかにもう1つ大きな心配ごとがあった。地震で温泉の水位が極端に低下したことだ。小井戸さんは当時、「いわき湯本温泉が地図から消えてしまうかもしれない」と淡々と話していた。

温泉地にとって温泉の枯渇はあまりにも重大で、このコメントを新聞に書くことはできなかった。震災から1カ月後の4月11日、福島でかなり大きな余震があった。温泉の水位はこの余震で劇的に回復している。

足湯広場

いわき湯本温泉の
足湯広場

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