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「天地人」の源流を訪ねて 山形・米沢

09/01/08

NHK大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続は戦国時代から江戸時代にかけて活躍した知勇兼備の武将。越後で生まれ青年期を過ごした後、活躍の舞台を米沢(山形県)に移し、現在のまちの基礎を築いた。米沢には、ゆかりの地が数多く残り、兼続はもちろん兼続が仕えた上杉家の気風が今も息づいている。「愛」と「義」をもって治世に挑んだ兼続。物語の源流をたどりに、いざ米沢へ。

米沢城址中心に史跡点在

直江兼続は戦国時代、上杉謙信・景勝に仕え、豊臣秀吉を魅了し徳川家康を恐れさせたとも言われている知勇兼備の名将。越後でその手腕を磨いた後、景勝の会津移封に伴い活躍の場を米沢へと移した。晩年、まちづくりに心血を注いだ米沢で兼続の足跡を追ってみよう。

景勝が会津から米沢に移った1601年、兼続は米沢の城下町づくりに本格的に着手。城、町の整備や殖産興業など民政にも注力し、現在の米沢のまちの骨格を築き上げた。

兼続、景勝が城主を務めた米沢城は、言うまでもなくまちの中心。現在の城址は松が岬公園として整備されている。謙信が祭神の上杉神社、兼続の功績を讃えて配祀された松岬神社などがあるほか、上杉神社稽照殿は謙信、景勝、兼続の遺品などを所蔵。「愛」の前立てで有名な兼続の甲冑「薄浅葱糸威最上胴具足」も展示しており、兼続、上杉家を語る上で欠かせないスポットだ。

松が岬公園では毎年、冬は「上杉雪灯籠まつり」、春は満開の桜の中、「上杉まつり」が開かれる。上杉まつりは米沢の一大イベントで、時代行列や川中島合戦が再現され、市民が今も上杉家の遺徳を讃えていることを感じさせる。

城址を中心にゆかりの地は点在している。林泉寺は上杉家の菩提寺で、上杉家の移封にあわせて米沢に移転した。兼続・お船夫妻の墓が当時の夫婦には珍しく同じ大きさで並んでいるほか、歴代藩主の奥方や子女、重臣の墓もある。米沢藩主代々の墓所である上杉家廟所には、参道正面奥の社殿に謙信の霊廟が祀られている。

そのほか、宮坂考古館にも兼続や謙信、景勝の甲冑や武具のほか火縄銃や槍といった米沢藩関連の資料を展示。米沢城址から各地を訪ね、兼続、上杉家の名残を感じたい。

治水、学問、詩歌 偉業や人柄たどる

兼続は、上杉家の米沢移封後、数々の民政事業に尽力。短期間で米沢のまちに確かな力を肉付けしていった。

まちづくりの要として取り組んだのが治水事業。当時、暴れ川で米沢にたびたび被害をもたらしていた松川(最上川)の氾濫を防ぐため、兼続は石積みの堤防を築いた。その堤防は「直江石堤」または「谷地河原堤防」と呼ばれ、今も残る。河川敷は直江堤公園として整備され、散歩コースには兼続の偉業を讃える石碑が立ち、市民の憩いの場となっている。

直江石堤の上流、猿尾堰取水口そばにある巨石「龍師火帝(りょうしかてい)の碑」。兼続が猿尾堰の鎮守として、水害や干ばつが起きないように祈願して置いたとされ、猿尾堰を見守り続けている。ぜひ立ち寄って兼続の米沢への思いを感じ取りたい。

また、文武兼備の兼続が取り組んだのが学問の奨励。亡くなる前年、1618年に臨済宗の寺院・禅林寺を創建し、禅林文庫と呼ばれる蔵書を備え米沢藩士の子弟の学問所とした。禅林文庫の蔵書は今でも文化財として残っている。禅林寺は現在、法泉寺と名を改め、境内には兼続の参禅の遺跡のほか、庭園は米沢三大名園のひとつとして親しまれている。

そのほか米沢市内には、戦に備え鉄砲の製造に取り組んだことを記す「直江城州公鉄砲鍛造遺跡」の石碑も立つ。

米沢に隣接する地域にも兼続の足跡が。高畠町の亀岡文殊堂には兼続や、兼続と関係の深い前田慶次らが和歌や漢詩を詠んだ「亀岡文殊堂奉納詩歌百首」秘蔵されており、文化人・兼続の一端が垣間見える。兼続の人柄に触れる旅もいいだろう。

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