「天地人」直江兼続の足跡を追う 新潟・越後
2009年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した越後の武将・直江兼続。物語の舞台となる越後(新潟県)には、兼続生誕地の南魚沼市や居城のあった長岡市、兼続が仕えた上杉家の本拠地・上越市などを中心に、ゆかりの史跡が点在し、兼続を育んだ風土が息づいている。大河ドラマ放映を機に、義を尊び、愛を信じた兼続の足跡をたどりに出かけてみたい。
名将育んだ史跡点在 生まれ故郷・南魚沼へ
直江兼続は戦国時代、越後を治めた上杉謙信・景勝に仕えた名将。景勝の懐刀として知勇兼備の活躍を見せ、豊臣秀吉を魅了し徳川家康を恐れさせたとも言われている。越後で過ごした幼少から青春期の道程を追ってみよう。
まずは生まれ故郷の南魚沼市へ。兼続は1560年、長尾政景の家臣、樋口兼豊の長男として坂戸城で生まれた。当時の城主・政景の子だった景勝との関係はここからスタートした。
坂戸城は、標高634メートルの坂戸山全体を使った難攻不落の山城で、現在は土塁や石垣、大手門の痕跡が残り、国の史跡名勝記念物に指定されている。実城(本丸)があった山頂までは登山コースが整備されており、途中には景勝・兼続生誕の地碑が立つ。山頂からは魚野川の流れる南魚沼全体が一望でき、周辺は魚沼産コシヒカリの田園が広がる。冬は雪深いこの自然環境が、名将への基礎を育んだ。
兼続と景勝の足跡をたどる旅で、ぜひ訪れたいのが雲洞庵。師・通天存達から学問を学んだ地で、2人の成長に大きな影響を与えた。杉木立の中、赤門と呼ばれる山門がそびえ立ち、本堂まで石畳が続く。景勝の書簡や奉納した茶釜、謙信の頭巾など上杉家ゆかりの品々が残されている。
周辺にある坂戸城の支城・樺沢城跡は景勝が生まれた地とする説がある。近隣の龍澤寺には、生誕の碑が立っており、合わせて立ち寄りたい。
上杉家ゆかりの食も旅の魅力のひとつ。笹だんごは謙信または家臣が兵の携帯食として考案したとされ、草もちを笹でくるんだものだったが、現在は中にあんを入れたものが定着している。味噌を塗った焼きおにぎり「けんさん焼き」は、謙信が出陣の際、兵糧として持って行ったなど諸説ある郷土料理だ。
春日山城と与板城 青春期の活躍の場・上越、長岡へ
上越市の春日山城は、謙信の居城で、いわば上杉家の本拠地。家督争いに勝利し景勝が跡を継いだ後、兼続は、この地で内政や外交の手腕を磨いた。
春日山城址には、毘沙門堂や謙信が祭神の春日山神社、謙信公像などの史跡が点在し、標高180メートルの本丸跡からは上越市の町並みを一望できる。本丸跡から少し降りると兼続の屋敷跡もあり、謙信、景勝、兼続の三英傑、上杉家の繁栄の名残を強くとどめる地だ。
春日山のふもとにある林泉寺は、謙信が7歳から14歳まで修行を積んだ地で、謙信の墓が立つ。宝物館には謙信の肖像画や書簡などが展示されている。
兼続の面影が色濃く残るのが長岡市。1581年、兼続はお船と結婚し直江家を継ぎ、与板城主となる。城下町としての繁栄を築き、上杉家の執政として政治手腕を発揮した。
もともと直江家の居城だった本与板城と兼続が築いた与板城があり、本与板城跡には石碑が立つ。与板城跡のある城山へは、八坂神社から竹林や木立の間をのびる登山口を通り実城跡へ。与板城址碑が立つほか、兼続の名、花押が記された碑には、直筆の書状から刻んだ「所望事信一字」の文字が。「望むところのこと信の一字」と詠み、兼続の人柄がしのばれる。
与板城近くの徳昌寺は、兼続の菩提寺。兼続まで直江家四代の位牌、兼続夫妻の位牌を安置し弔っている。与板歴史民俗資料館には兼続像が立つほか、兼続のシンボルでもある兜の前立てに「愛」と記した甲冑のレプリカも。
新潟市にも兼続の弟・大国実頼が城主を務めた天神山城址が。近隣の岩室温泉で旅の疲れを癒したい。
豊臣から徳川へ天下が移るなか、兼続・景勝も会津や米沢に移っていくが、まずは2人の原点である越後で、物語の源流を肌で感じておきたい。