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世界遺産へ―長崎の"誇り"(4) 明治の産業革命-2

人気の軍艦島と長崎造船所

続いて来訪者が多いのは高島炭鉱に所属する軍艦島だ。09年に上陸許可が下りて以降、「軍艦島クルーズ」として人気を呼び5年目の現在、約40万人が上陸している。

軍艦島は1890年(明治23年)から採掘が始まり、採掘される石炭が良質であったため、主に八幡製鉄所に製鉄用原料炭として供給された。昭和に入って主要エネルギーが石炭から石油に移行したことで閉山。島民も去り廃墟だった島を産業遺産として捉え、日本の近代化や人々が暮らしていた歴史を知る目的で上陸が可能になった。

見学できるエリアは決まっており、貯炭場や技師・従業員住宅、主力鉱の第2堅坑跡がある第1見学広場、鉱山の中枢でレンガ造りの建物だった総合事務所があった第2見学広場、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパートがあった第3見学広場をガイドの案内で見学する。

軍艦島

高島炭鉱の端島(軍艦島)

長崎造船所で見学できるのは、現在は史料館になっている旧木型場と軍艦の修船場だった小菅修船場のみ。第三船渠とジャイアント・カンチレバークレーンは対岸の旧グラバー住宅から遠望できる。占勝閣は見学不可。

史料館として使われている赤レンガの建物、木型場は三菱重工業発祥の長崎造船場に現存する最も古い建物。昭和20年の空襲における至近弾や原子爆弾の爆風にも耐え、百年の風雪に磨かれた赤レンガは見るだけでも価値がある。

館内は13のコーナーに分かれ、1857年(安政4年)に長崎造船所の前身である長崎鎔鉄所建設から現在までの技術の進歩を物語る品々や写真など約9千点の史料が展示されている。

旧木型場

史料館になっている旧木型場

小菅修船場跡は、現存する最古の洋式近代的ドック。中古の洋船や外国から来た大型船の修理を目的に薩摩藩士の小松帯刀とグラバーが1868年(明治元年)に完成させた。船を引き揚げる滑り台がソロバン状に見えたことから、通称「ソロバンドック」と呼ばれた。

小菅修船場跡

小菅修船場跡

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