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学童疎開受入の歴史、後世に 上山田ホテルに記念碑建立

「命を救う決断」

戸倉上山田温泉の老舗、湯元上山田ホテルで5月21日、1つの記念碑が完成し、除幕式が行われた。太平洋戦争末期から戦後にかけての4年間、身体が不自由な子どもたちの疎開を、ホテルが受け入れたことを後世に伝えようとする碑だ。

当時、全国で唯一の身体が不自由な子どもたちの学校として東京・世田谷にあった「東京都立光明国民学校」(現光明学園)は、他校の学童疎開が始まるなか、子どもたちの疎開先を見つけるのに苦労していた。当時の校長からの相談に、約60人を学童疎開として受け入れたのが、当時、旧上山田村長の同ホテルの若林正春社長だった。疎開から10日後、学校校舎は空襲で大半が焼失するという、命を救う決断でもあった。児童たちは終戦後も学校が再建されるまで、同ホテルに滞在したという。

記念碑は同校の卒業生などの関係者の寄付や同ホテルの協力で建立した。1.6メートルほどの記念碑には、歩行を支える補助具などでホテルの畳や廊下が傷んだことなどを読んだ句「すりきれしホテルの畳慰問柿」などが刻まれている。

上山田ホテル

往時の思いを刻む

同ホテルの若林正樹社長は「父母と離れ、慣れない田舎で、子どもたちは大変な苦労をしたんだと思います。でも、上山田温泉の歴史の1つとして、地域で子どもたちを受け入れたことに、誇らしい気持ちはあります」と話す。

同ホテルは大正8年創業で、地元では屋号を付けず「ホテルさん」と親しみを込めて呼ばれる。温泉は湯量豊富で源泉かけ流し。淡くグリーンな湯を湛える浴槽からは、ほのかに香る硫黄臭がいい。

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